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「1955年」物語

2005年03月21日
 皆様、今晩は。
 またまた、前回の更新から2カ月近くも経ってしまいました。
 毎週毎週、仕事に追われるままに、時間ばかりが空しく過ぎていく感じであります。
 この2カ月の間に、このブログで紹介させていただきたい話も幾つかありまして、何度か、更新を試みかけたりもしていたのに、叶わない日々でありました。
 特に、先月は、新宿で元スパイダースの井上尭之さんのトークライブを聞きに行き、そのお話を書かせていただこうと思い、画像も何点か用意して、その処理作業までは辿りついたのですが、文章を書かせていただく時間がなくて、現在に至っております。
「1955年」物語_c0000565_364797.jpg 今月も月初めのタイに続き、先週は5日間でアイスランドへ行ってくるという強行軍の出張が入り、このままでは、また、2カ月以上のブランクが空いてしまうのではないかという危機感を募らせ、何とか、ブログの更新を果たしたいと、睡魔に襲われながらも、朦朧とした頭で、駄文を書かせていただいている次第です。
 タイの話も、また、改めて、書かせていただこうと思ってはおりますが、今回は、レイキャビクで訪れたアイスランド国立博物館の話であります。
「1955年」物語_c0000565_371866.jpg なぜ、アイスランド国立博物館の話を書かせていただくかと言いますと、ちょうど、僕が訪れた際に、僕が生まれた年である「1955年」をテーマとする特別展示が開かれていたからです。
 などと書かせていただきつつ、実際には、時間がなかったため、アイスランドの歴史を紹介している展示の部分しか見ることができませんでした。
 仕方がないので、「1955年」の特別展示の方は、受付で販売していたパンフレットを購入して、その内容を確認しようと思ったら、そのパンフレットがアイスランド語のみだったため、読んでも分からないと考え、結局、購入しませんでした。
 でも、写真も何点か掲載されていたので、やっぱり、とりあえず買ってくれば良かったと、今更、後悔しています。
「1955年」物語_c0000565_37494.jpg 最近、この「60年代通信」掲示板の方では、1960年代を年ごとに振り返る書き込みで賑わったりしておりますので、僕も、その掲示板のブームとアイスランド国立博物館の「1955年」展示に乗じて、1955年=昭和30年という年を振り返ってみようかなと思ったりしているわけであります。
 僕が生まれた昭和30年という年は、政治の世界では、左右の社会党が統一され、民主党と自由党が合同して自由民主党を結成し、二大政党対立の「55年体制」が誕生した節目として記憶されているわけですが、同時に、電気洗濯機、テレビ、電気冷蔵庫が「三種の神器」ともてはやされるようになった頃でもあります。
 この年の3月に松山善三と結婚した高峰秀子が松下電器の家電製品広告のイメージキャラクター“ミセス・ナショナル”として起用され、“サンヨー夫人”と言われた三洋電機の木暮実千代、東芝の高友子(電気炊飯器)、山田五十鈴(洗濯機)、富士電機の南田洋子(洗濯機)などと共に、電化生活にあこがれる主婦層に強くアピールしたのでありました。
 さらに、日本初のポケット型トランジスタラジオが東京通信工業から発売され、この東京通信工業がブランド名を「SONY」としたのも昭和30年のことで、この年の4月には、ラジオ東京テレビ(TBS)が日本テレビに続く2番目の民放局として開局しております。
「1955年」物語_c0000565_381368.jpg そういえば、アイスランドの国立博物館で見てきた歴史展示の「現代」のパートでは、シャープのビデオデッキや“KASUGA”ブランドのラジカセなども展示してありました。
 それから、この昭和30年に登場した新製品ということでは、セイコーから国産初の自動巻き腕時計「セイコーオートマチック」、僕らが子どもの頃に銭湯の定番だったアルミフォイル入りの「花王フェザーシャンプー」、理研光学工業(現・リコー)の陽画湿式現像方式の複写機などがあります。
 おっと、一番大事な新製品を忘れておりました。
 今も、僕のカバンやポケットに必ず入っているアーモンド入りのグリコ、つまり、「アーモンドグリコ」が10円の小箱と20円の大箱でデビューしたのも、この昭和30年でありまして、グリコのホームページによりますと、「1粒で2度おいしい」のキャッチフレーズは、発売当初から使われていたそうであります。
 野球の世界に目を転じますと、巨人軍のスタルヒン投手が日本初の300勝投手となり、メジャーリーグでは、ニューヨーク・ヤンキースとブルックリン・ドジャースによる歴史的なワールドシリーズが行われ、移動日なしの7日間連戦の結果は、ドジャースの4勝3敗でありました。敗れたヤンキースは、ワールドシリーズから2週間余り後の10月20日に来日しております。
 また、東京都議会が1964年のオリンピック誘致を決定したのも昭和30年で、奇しくも、東京五輪の開会式と同じ、10月10日のことだったというのは、皆様、ご存知でいらっしゃいましたでしょうか。
 以上、ほとんど、アリバイ代わりの「1955年」物語でありました。

【画像説明(上から)】
(1)アイスランド国立博物館の外観。訪れた時は、雪が舞っていました
(2)博物館の概略を説明してくれた学芸員の男性(右)。左の男性は、今回の出張でお世話になったアイスランド外務省の方です
(3)「1955年」展示の垂れ幕
(4)地元の生徒さん達も見学に訪れていました
# by kiyomi60 | 2005-03-22 03:11

2カ月ぶり2回目の更新です

2005年01月30日(日)
 皆様、こんにちは。
 昨年の秋に「60年代通信ブログ(暫定)版」として第1回目のアップをさせていただいてから、あっという間に2カ月が経ってしまいました。
 昨年の暮れから正月にかけては、完全に“ワセダラグビー追っかけオヤジ”と化してしまい、前回のアップで紹介させていただいた早慶戦に続いて、早明戦、ジュニア選手権決勝、大学選手権1回戦、大学選手権2回戦と順調に観戦を重ね、正月2日の準決勝2試合を楽しみにしていたのに、元旦の夜から風邪を引いて寝込んでしまい、準決勝の同志社戦は前売り券を握り締めながら、布団をかぶってのテレビ観戦となりました。
2カ月ぶり2回目の更新です_c0000565_15121151.jpg しかし、4年連続となった9日の関東学院との決勝は、国立競技場で早稲田の優勝をしっかりと見届けさせていただき、夕方からは、大隈講堂前で行われたアディダス主催の優勝祝賀会、また、夜には、高田馬場でコアなワセダラグビーファンのお仲間との祝勝会と、祝賀のハシゴをさせていただき、15日には、阿佐ヶ谷パールセンターで行われた優勝パレードと杉並区役所で開かれた杉並区の主催による優勝報告会にも行ってまいりました。
 さらに、先日は、大隈講堂での日比野弘教授の最終講義を聴講させていただき、昨晩も、天王洲で開かれた業界の稲門会にも駆けつけ、まさに、今月は、早稲田ラグビー優勝祝賀月間となっております。
 …ということで、2カ月ぶり2回目のブログ更新にも関わらず、冒頭から、「60年代通信」とは関係のないワセダラグビー話となってしまい、誠に失礼いたしました。
 それでは、本題に戻らせていただきます。
 トップページの題字下などにブログ開設のお知らせのテキストなども貼り付けさせていただいてはおりますけれども、「60年代通信」の各コーナーに比べると、かなり地味な誘導露出となっているため、こちらを覗いてくださる方は、あまり、いらっしゃらないのではないかと思ったりしていたのですが、それでも、カウンターを確認させていただくと500を超えておりまして、というか、ちょうど「555」と表示されていて、「やったー、キリ番ゲットだぜ!」という感じで、“Go, Go, Let's go Matsui!!!”という雰囲気だったりしておりまして、このブログ版にもアクセスいただいている皆様、本当に、どうも、ありがとうございます。
 実は、掲示板の方でも、ちょっと前に書かせていただきましたが、ホームページ「60年代通信」で利用させていただいているサーバーの契約プロバイダーが経営統合で変わってしまい、最近、ホームページの更新を行うためのデータをアップする段取りも変更されたようなのですが、なにしろ、“ビンボー暇なし”オヤジの上に、整理整頓や事務処理能力に著しく欠けているため、恐らく、契約プロバイダーからも何らかの通知が来ているのだろうとは思われるにも関わらず、その記憶自体も曖昧で、その通知がどこにあるかなど、まるで分からなくなってしまっておりまして、昨年の暮れから、ホームページの更新が全く出来ない状態に陥ってしまっています。
 不埒で無節操でズボラなサイト主宰者ではありますが、一応、これまで、年末年始には、トップページの題字回りをクリスマスモードにしたり正月モードにしたりしてきていたのに、今回は、全く、そういうことができませんでした。もっとも、正月三が日を使って、やっと、年賀状を書き終えたような状態でしたから、年末年始の休みが短かった今年の場合、仮に、データアップの段取りが分かったとしても、どの程度のことが出来たかは定かではありませんが…。
 そういうわけでありますから、「60年代通信」のトップページで書かせていただいている駄文コラムも更新できない状態に陥っているため、このブログ版を駄文コラムの代替版にもさせていただけそうなので、気まぐれな思いつきだったとはいえ、ブログ版を開設させていただいておいて良かったと、今更ながら、思ったりしております。
 また、昨年の秋に、このブログ版で紹介させていただいたタイムスリップ・グリコGS編の同時進行企画も「60年代通信」本体の方にアップさせていただくことが出来ない状態ですので、このブログ版の方で紹介させていただくことにします。
 …ということで、皆様、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
# by kiyomi60 | 2005-01-30 15:11

祝!「60年代通信」ブログ(暫定)版 開設!!!

祝!「60年代通信」ブログ(暫定)版 開設!!!_c0000565_1401514.jpg
2004年11月24日(水)
 ブログっていうのが、何なのか、よく分からないまま、「60年代通信」のサイト更新が停滞しまくっているため、とりあえず、更新が簡単にできるのなら、「60年代通信」ブログ版というのもいいかなという軽い気持ちで、思いつくままに、開設してみました。
 「開設」という言葉が妥当なのかどうかも、これまた、よく分かりませんけれども、なんか、もう、かなり以前から、色々なところで「ブログ、ブログ」と言われているし、一応、どんなものかは、実際にやってみないと分からないし、何しろ、ビンボー人なので、「無料」という二文字に、思わず、引かれてしまったというのが実情ですが…。
 昨日は、快晴の秩父宮ラグビー場へ関東大学ラグビー・対抗戦グループの「伝統の一戦」と言われる早慶戦を見に行き、早稲田の圧勝崩れの快勝に気を良くして帰ってきました。録画しておいたビデオをBGM代わりに流しながら仕事をして、関連サイトなどをネットサーフィン(という言葉も最近は聞かなくなったけど…)しているうちに、ブログのサイトに行き当たり、「オラも、ブログというのをやってみよう」と気まぐれオヤジは思ったわけです。
 ちなみに、昨日の早慶戦での早稲田による11個のトライシーンの暫定版ページも作成しましたので、興味のある方は、覗いてみてください。
 一応、「60年代通信」ブログ版ということにしちゃったため、「60年代」に連なる話も書かなければいけないので、ちょっと、書かせていただきます。
 先日、近所のコンビニで、タイムスリップ・グリコの「グループサウンズ編」というのを発見して、「これは、『60年代通信』ネタとして、ぜひ、買わなければ」と思いつつ、ここ数週間は、極貧生活を強いられていたため、その場では購入できませんでしたが、今日、やっと、資金繰りの都合がつきましたので、さきほど、帰宅途中に、コンビニでタイムスリップ・グリコ「グループサウンズ編」を3箱、買ってきました。
 その詳細については、「60年代通信」のサイト本編(?)でレポートさせていただきますが、とりあえず、このブログで画像も試してみたいので、さきほど、デジカメで撮影した3箱の写真もアップしてみます。
 このタイムスリップ・グリコ「グループサウンズ編」は、ブルーコメッツやタイガース、ワイルドワンズ、ゴールデンカップスなど、12グループの12曲が「なつかしのドーナツ盤風」CDとして箱の中に入っておりまして、「全12種類+シークレットバージョン」ということなのですが、箱の裏に書かれている説明によると、当然、ラインナップされていなければならないと思われるスパイダースとテンプターズの名前が見当たりません。フィリップス系は契約の関係とかで入れられなかったのかなとも思ったりしましたが、でも、ジャガーズやカーナビーツはリストアップされているから、そういうことでもなさそうです。
 スパイダースは、今や芸能界のドンとなられたリーダーの方からOKが出なかったのかなとか、テンプターズは、最近、元メンバーの不祥事が報道されているから外されたのかなとか、色々と邪推してしまいます。
 とりあえず、今日、購入してきた3箱の中身が何なのか、僕も、早く、開けてみたいところではありますが、これについては、「60年代通信」で、久しぶりの同時進行ドキュメント企画として、報告させていただきます。
 それでは、皆様、本編をお楽しみに。



# by kiyomi60 | 2004-11-25 01:41